墨田区南部地域の縄文時代晩期以降の堆積環境史

横網一丁目遺跡(第二地点)の堆積環境史(吉川ほか,2002)の概要

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イオウ含有量

粒度分析

江東橋二丁目遺跡Uの堆積環境史(吉川,2002)の概要

太平四丁目遺跡の堆積環境史(吉川ほか,2003)の概要

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墨田区南部地域の堆積環境史について

軽石の産状

Friedman,G.H. 1961. Distinction between dune, beach and river sands from the textural characteristics. Jour. Sed. Petro. 31, 514-529.
砕屑性堆積物研究会編.1983.堆積物の研究法礫岩・砂岩・泥岩.地学双書24377p.地学団体研究会,東京
白神 宏.1993.イオウ分析法.日本第四紀学会編「第四紀試料分析法」,119-124.東京大学出版会
墨田区横川一丁目遺跡調査会.1999.東京都墨田区横川一丁目遺跡−墨田区横川一丁目都民住宅(仮称)建設に伴う掘
 調査報告書−.
340p,墨田区横川一丁目遺跡調査会.
上杉 陽.1972.粒度頻度分布からみた風成砂・海浜砂の諸特徴.第4紀研究,1149-60
吉川昌伸.2002.江東橋ニ丁目遺跡Uにおける環境変遷史.墨田区教育委員会編「東京都墨田区江東橋二丁目遺跡U」,
 176-189
吉川昌伸・吉川純子.2002.横網一丁目遺跡(第二地点)における環境変遷史.墨田区横網一丁目埋蔵文化財調査会編「本 所御蔵跡・陸軍被服廠跡」,121-138
吉川昌伸・吉川純子.2003.自然科学分析の成果−太平四丁目遺跡における環境変遷史−.墨田区太平四丁目埋蔵文化
 財調査会編「東京都墨田区太平四丁目遺跡」,
157-174

弥生時代のカキ礁

4世紀頃のカキ礁

弥生時代のカキ礁

太平四丁目遺跡、横網一丁目遺跡および江東橋二丁目遺跡の対比(吉川ほか,2003)

東京低地に位置する墨田区は、地史的には海域、干潟、および湿地的環境であったため生活には適しない地域であった。こうしたことから、この地域の多くが整備されたのは明暦の大火以降に計画された江戸市中の拡張政策によるとされている(墨田区横川一丁目遺跡調査会,1999)。ここでは墨田区の3遺跡の調査結果(粒度分析、有機物量、イオウ含有量)に基づき、墨田区南部地域の縄文時代晩期以降の堆積環境史を検討した。

横網一丁目遺跡は、JR両国駅の北側にあり、隅田川左岸に隣接する。縄文時代晩期以降の調査を行った結果、堆積環境は下位より浅海、潮間帯(汽水域の干潟)、浅海、潮間帯、河川、後背湿地、河川と変化したことがわかった。すなわち、縄文晩期頃は浅海に位置しカガミガイ、ハマグリが生息していた。縄文晩期末には海水準が低下し、潮間帯の汽水域になりカキ礁が形成され、カキ礁の存続期間は少なくとも120年以上である。暦年代に基づくと弥生時代中から後期頃には、海水準が上昇し浅海に変化、その後の古墳時代頃には再び低下し潮間帯に変化したとみられる。7世紀頃以降に淡水化し、河川、海水の遡上等の影響が推定される後背湿地、河川環境と変化した。なお、最後の河川の形成時期、およびそれ以降の堆積環境については不明である。

引用文献

江東橋二丁目遺跡Uは、JR錦糸町駅の南西側にあり、隅田川の西方約2kmに位置する。堆積環境は、縄文晩期頃には浅海であったが、弥生時代早期ないし前期には海退し潮間帯(汽水域の干潟)に変化し、カキ礁が形成された。その後、浅海域になったが4世紀頃には再び潮間帯にあり、周辺でカキ礁が形成されたとみられる。7世紀頃には河口域に変化し、塩分濃度も低くなりヤマトシジミが生息していた。その後、淡水化し緩やかな流れの河川ないし後背湿地にかわり、近世には埋土され水田として利用されたことが分かった。

 太平四丁目遺跡は、JR錦糸町駅の北方約400mに位置する。堆積環境は、弥生中期頃以前には浅海の砂泥底であったが、弥生中期頃には汽水域の潮間帯に変化しカキ礁が形成された。その後、浅海、河川、後背湿地と変化した。この付近では弥生時代と古墳時代前期の2層準でカキ礁が形成されているが、下位のカキ礁は弥生中期頃に最も広く分布し、上位のカキ礁は侵食谷内に主として分布していた可能性がある。

図に横網一丁目遺跡と江東橋二丁目遺跡及び太平四丁目遺跡の層序対比及び堆積環境を示す。横網一丁目遺跡と江東橋二丁目遺跡の地層を時間層序学的、および地層の空間的な発達過程により比較検討した結果以下の5つの知見がえられた。すなわち、@ 弥生早期ないし前期に形成されたカキ礁は、標高の高い横網一丁目遺跡では弥生後期頃まで存続していたが、標高の低い江東橋ニ丁目遺跡や太平四丁目遺跡では海進に伴い弥生中期頃に浅海化した。また、カキ礁はこのあたりでは弥生中期頃に最も広く形成されていたとみられる。A 4世紀頃には江東橋二丁目遺跡周辺ではカキ礁が形成されたが、標高の高い横網一丁目遺跡には分布しない。このカキ礁は下位の海成層を侵食して形成された谷内に分布していたと推定される。B 7世紀頃には河川が卓越する環境に変化し横網一丁目遺跡ではHr-FPなどの漂着軽石がみられ、標高の低い江東橋二丁目遺跡付近ではヤマトシジミが生息していた。C 標高が異なるための岩相の違い及び一部の層では岩相と時間面に斜交が認められた。D太平四丁目遺跡は全般に流水や波が支配的であるが時に穏やかな環境であった。横網一丁目遺跡は太平四丁目遺跡より相対的に運搬営力に著しい変化があったが、江東橋二丁目遺跡は大半が安定した穏やかな流水環境で形成された。

 砕屑性堆積物の粒度組成を規定する要因としては、流体の密度、流速、流量(掃流力)、水深や河床勾配などがある。また、周囲の地質が異なれば供給砕屑物の粒度や形状及び砂粒子の密度が関係する。粒度組成は、これら要因の複合の状態や作用の状態、つまり堆積過程と堆積の場の環境により規制される。粒度組成は運搬の様式と運搬媒質のエネルギ−条件を反映することから堆積環境によって特有の粒度組成を示すことが期待され(砕屑性堆積物研究会編,1983)、統計指標を用いて環境区分を一般化しようとした研究も少なくない(Friedman,1961;上杉,1972)。ここでは堆積環境を復元するための基礎資料を得るために粒度分析を行った。

FeS2(黄鉄鉱)は、堆積物の表層近くで硫酸イオンが硫酸還元バクテリアにより還元され、硫化水素を生産し、続性作用の過程で鉄と結びつくことにより生成され、安定な鉱物で堆積物中に保存される(中井ほか,1982)。FeS2の堆積物中の含有量は主に硫酸イオン濃度に規定される。硫酸イオン濃度は海水と淡水環境で著しく異なり、標準海水の1リットル中に硫酸イオンが約2700r含まれるが、日本の河川では50r(酸性河川を除く)に満たない(白神,1993)。したがって、FeS2含有量は水塊中の塩分に大きく規定されることから、堆積物中のFeS2含有量を測定することにより堆積環境を復元することができる。