アサ(大麻)花粉の出現が意味するもの

アサ花粉の同定とその散布


アサ花粉の同定とその散布
Identification of Cannabis sativa L. pollen and its dispersion.            吉川昌伸・工藤雄一郎.2014「国立歴史民俗博物館研究報告」第187集:441-456.

結論:アサ花粉はカラハナソウやカナムグラとほぼ区別でき、アサ花粉の大半は雄株の縁から50m以内に落下する。

要旨
アサ果実は縄文早期中葉以降に出土しているが,果実は利用のため生育地から移動する可能性があるため,栽培場所は花粉も含めて検討する必要がある。日本に分布するアサに近縁な分類群には,カラハナソウ属のカラハナソウとカナムグラの2種があるが明確な花粉形態の違いが認識されていなかった。そこで,光学顕微鏡を用いた花粉形態の観察と,画像から各部位を高精度で計測した結果,内孔長/ 赤道長比と口環部外壁厚/赤道長比の関係に基づきアサとカナムグラ属はほぼ区別できることが明らかとなった。内孔径/ 赤道径比が約0.105以下のタイプ,つまり孔が赤道径に対し相対的に小さなタイプはアサである可能性が高い。アサとカナムグラの中間的な形態の花粉は,アサの殆どが内層を外表層が僅かに貫くのに対し,カナムグラの殆どが内層の位置で止ることによりほぼ識別できる。この識別結果に基づき,アサ花粉の散布を明らかにすることを目的に空中浮遊花粉と表層花粉を調査した結果,アサ花粉の大半が散布源から50m以内に落下することが明らかになった。これは散布源の高さが2~3mと低く,風が弱い場所が栽培に適しているためであり,本研究の散布過程の観察結果が過去にも適用できると考えられる。

キーワード:アサ花粉,アサ花粉の散布,花粉形態,空中浮遊花粉,表層花粉スペクトル

     ア サ           カナムグラ         カラハナソウ

アサ(大麻)花粉の出現が意味するもの

 大麻は、古くから栽培され繊維原料や食料、漢方薬として利用されていたが、終戦直後の1945年にGHQにより栽培、販売、輸出入が禁止され、1948年には大麻取締法が制定された。大麻を全て撤去できないため、現在でも過去に栽培していたのが野生化して残っていることがあり、人里の周辺にあることが多いようです。野生大麻は北海道に多く、この原因として大麻の植生が冷涼な気候に適応すること、広大な土地のため、風・鳥獣による拡散、また監視の不行届などの条件が重なった結果とする意見もある(山元,1991)

 鳥浜貝塚の縄文時代草創期から出土した縄類は大麻とされていたが、素材を再検討したところ大麻かどうか判定できないため(鈴木,2017)、縄文時代草創期における大麻利用は定かでない。一方で、鳥浜貝塚では、アサの花粉が縄文時代早期中葉の約10,500 cal BPに出現し、縄文時代前期までほぼ連続的に出現した(吉川ほか,2016)。アサ花粉は新潟県津南町の卯ノ木泥炭層遺跡の縄文時代早期の約9,400 cal BP以前の層準からも検出されている(吉川,2013)。また,アサ果実が千葉県館山市沖ノ島遺跡の縄文時代早期の約10,000 cal BPの遺物包含層から出土している(小林ほか,2008;工藤ほか,2009)。すなわち,アサは縄文時代早期前葉〜中葉には日本列島の各地に存在していたと考えられる。

 大麻の自生地のネパールでは、山間部はもとより市街地でも野生化し、生えるにまかせた状態のようです(週刊朝日百科 植物の世界89)。日本の縄文時代にも果して各地で野生化していたのでしょうか。大麻は熱帯から冷温帯までの幅広い気候条件に適応し、痩せた土地から肥沃な土地まで栽培可能であるため、生育できる場所は多いようである。しかし、自然に分布を拡大するかどうかは、他種との関係と、気候変動や局地的な環境変化により単純ではない。花粉化石群の組成をみると、風媒花粉のアサ科(古い植物分類ではクワ科)は稀または出現しないことが多く、一部の低湿地遺跡の遺物包含層や土坑内堆積物において低率あるいは比較的多く出現している。アサ花粉を識別した結果は少ないものの、アサ花粉が出現しないことが多いことから、縄文時代においてアサがどこにでも生えていたわけではないようである。したがって、遺跡においてはアサ花粉の出現率が低率でも地史的に継続した出現は、野生よりも人為の可能性が高いと推測される。いづれにしても、栽培または野生であったかどうかは別として、アサは種子が可食できるため、遺跡の傍であれば利用されていたのは間違いない。

引用文献                                           小林真生子・百原 新・沖津 進・柳澤清一・岡本東三.2008.千葉県沖ノ島遺跡から出土した 縄文時代早期のアサ果実.植生史研究16:11–18.                             工藤雄一郎・小林真生子・百原 新・能城修一・中村俊夫・沖津 進・柳澤清一・岡本東三.  2009. 千葉県沖ノ島遺跡から出土した縄文時代早期のアサ果実の14C年代.植生史研究17 : 29 - 33.     鈴木三男.2017.鳥浜貝塚から半世紀ーさらにわかった!縄文人の植物利用ー.「さらにわかった!縄文人の植物利用」(工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館 偏):188-201.                  吉川昌伸.2013.本ノ木遺跡・卯ノ木泥炭層遺跡の花粉化石群.「新潟県中魚沼郡津南町 本ノ木遺跡・卯ノ木泥炭層遺跡 2009~2011年度発掘調査報告書」(谷口康弘・中村耕作編):133‐158,國學院大學文学部考古学研究室.                                        吉川昌伸・吉川純子・能城修一・工藤雄一郎・佐々木由香・鈴木三男・網谷克彦・鯵本眞由美.2016.福井県鳥浜貝塚周辺における縄文時代草創期から前期の植生史と植物利用.植生史研究 24:69-82.