引用文献
八戸市教育委員会編.2002.八戸市内遺跡発掘調査報告書15 是川中居遺跡1.八 戸市埋蔵文化財調査報告書第91集,105p.
鈴木三男・小川とみ・能城修一.2002.是川中居遺跡出土木材の樹種と植物資源利 用.「八戸市内遺跡発掘調査報告書15 是川中居遺  跡1.」(八戸市教育委員会 編),53-69.
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辻誠一郎.2002.是川中居遺跡から産出した植物遺体の放射性炭素年代.「八戸市 内遺跡発掘調査報告書15 是川中居遺跡1.」(八戸 市教育委員会編),90-91.
吉川純子.2002.是川中居遺跡D区より産出した大型植物化石.「八戸市内遺跡発  掘調査報告書15 是川中居遺跡1.」(八戸市教育委員 会編),76-87.
吉川昌伸.2002.是川中居遺跡D区における縄文時代晩期の花粉化石群.「八戸市 内遺跡発掘調査報告書15 是川中居遺跡1.」(八戸  市教育委員会編),70-75.

是川中居遺跡D区周辺の植生と生業

 是川中居遺跡は、青森県八戸市の新井田川左岸の台地に形成された縄文時代晩期の遺跡である。本遺跡は、多量の縄文土器や石器と伴に漆塗りの弓、藍胎漆器、太刀、櫛などやオニグルミ、トチノキなどの植物遺体が出土した低湿地遺跡として知られ、出土遺物の多くが重要文化財に指定されている。平成11・12年度には中居遺跡南部のC・D区の泥炭層の調査が行われ、人口遺物のほかにトチノキ種皮やオニグルミ内果皮の植物遺体や獣骨、魚骨、貝などの生業に伴うゴミが多量に含まれていた。この泥炭層は北西から南東にのびる北の沢と南の沢内に形成され、北の沢では厚いところで約2m、幅12m以上の規模をもつ。遺跡周辺の生態系の復元と生業を解明するために、年代測定や花粉、大型植物化石、木材の植物化石群の調査が行われた。
 調査結果によると是川中居遺跡の縄文晩期の植生は、D区周辺にクリ林やトチノキ林が形成され、それらの周囲にコナラ亜属、オニグルミ、ニレ属、ケヤキ、カエデ属、ヤマグワ、サワシバなどからなる落葉広葉樹林が広がっていたとみられる。大型植物化石群で多量にニワトコが産出したが花粉化石では稀であることから、D区に隣接して分布していたわけでなく採集された果実の利用ないし加工後の残渣の廃棄物とみられる。こうした植物には、他にオニグルミ、ヤマグワ、キイチゴ属、サンショウ、キハダ、ヤマブドウ、マタタビ、サルナシなどがあげられる。草本においてもヒエ、アサ、ダイズ属、ナス属、ゴボウなど生業と関係するとみられる植物の種実が産出した。また、ウルシの木材が出土していることは、縄文晩期にウルシが栽培されていたことを示し注目される。
 D区から産出した花粉化石群の多くは食用植物からなり、大型植物化石群においても樹木の大半は食用ないし有用植物の種実からなる。また、沢にトチノキ種皮やオニグルミ内果皮の生業に伴うゴミが多量に廃棄され、さらにこの付近の主要森林構成要素とみられるナラ類やブナが少ないことは、遺跡周辺にクリ林やトチノキ林を配置して人為的な生態系をつくり植物食を確保していたとみられる。なお、遺跡周辺の生態系の復元及び人為による改変については、さらに時間、空間的に検討すること必要である。
 以下に「是川中居遺跡1」(青森県八戸市教育委員会,2002)の報告書に基づき、植物化石群の調査結果の概要を示しておく。

D区捨て場1の堆積物の特徴と北の沢の放射性炭素年代
 D区捨て場1の南北セクション図を図1に示す。D区捨て場1の堆積物は、大きくは下位より褐灰色砂及び暗褐色シルト(22-23各層)、黒褐色有機質シルトないし有機質砂(14-21各層)、トチノキ種皮を多く含む黒褐色有機質シルトないし有機質シルト質砂(11-13各層)、オニグルミ内果皮とトチノキ種皮を多く含む遺体屑(4-10各層)からなる。堆積物は大きくは11層を境に2つに区分される。すなわち、11層を含む下部層では砂・泥の無機物が比較的多く、11層より上位層では強熱減量が概ね50%を超え有機物が卓越する。11層より上部層ではトチノキ種皮やオニグルミ内果皮などのおびただしい植物遺体が含まれていることからも明らかなように、上部が生業に伴うゴミの廃棄により急速に埋積されたことを示唆させる。なお、遺体屑とは植物体の地上部の破片・部分が何らかの要因により掃き寄せられて集合したもので、生育する植物がその生育地において枯死埋積して形成された泥炭とは区別される(辻,1999)。
 D区北の沢の上流側であるC区捨て場2の4層準の放射性年代測定が辻(2002)により行われている。4層準(測定試料はトチノキ種子、オノグルミ核)はいずれも大洞B式土器の時期に含まれる。加速器質量分析法による放射炭素年代はほとんど一致し、3試料が3140±40 yrBP、他の1つが3120±40 yrBPであった。暦年代に校正した結果ではBC1440〜BC1380年(測定誤差1σ)の狭い範囲に特定され、中居遺跡の主要部の年代および大洞B式土器の存在時期を60年あるいはそれより短かったことが予測されている。

花粉化石群(吉川,2002)の概要
 D区捨て場1地点の主要花粉変遷図を図2に示す。花粉化石は15層には比較的多く含まれていたが、他の層位では植物遺体が多く相対的に花粉が少ない。特に4・9各層にはおびただしい植物遺体が含まれていたため産出した花粉は少ない。花粉化石群は、クリ属が大半の試料で優占し、トチノキ属を高率ないし比較的高率に伴う。またクリ属の花粉塊も産出した。他にコナラ亜属やクルミ属を比較的多く、ニレ属−ケヤキ属、ハンノキ属、カエデ属などを僅かに伴うが、産出した分類群数は少ない。草本では5層でイネ科が高率に占めるほかは、クワ科やセリ科、ヨモギ属などが僅かに産出する程度である。
 花粉化石群に基づくと、是川中居遺跡D区周辺にはクリ林やトチノキ林が形成され、それらの周囲にコナラ亜属やクルミ属、ニレ−ケヤキ属などからなる落葉広葉樹林が広がっていたとみられる。広域に散布しにくい虫媒花のクリ属花粉が高率に占め、さらに花粉塊でも産出することから、周囲で広くクリ林が形成されていたと考えられる。また、開析谷内からはおびただしいオニグルミ内果皮が出土しているが花粉の頻度はそれほど高くないことから、クリやトチノキよりは相対的に離れた河畔などに分布していたとみられる。
住居址に隣接する開析谷内にトチノキ種皮やオニグルミ内果皮の生業に伴うゴミが多量に廃棄されていること、この付近の主要森林構成要素とみられるナラ類やブナが少なく植物食料であるクリやトチノキ林が優勢であることは、住居址の周囲にクリ林、開析谷沿いや河畔にトチノキ林やオニグルミ林を配置して、人為的な生態系をつくり植物食を確保していたことを示唆する。

大型植物化石(吉川純,2002)の概要
 大型植物化石はD区捨て場1から採取した7層準(層位試料)、堆積物を厚さ5cm(12.5リットル)で連続して採取された27試料のうちの14試料(連続試料)の調査が行われている。図2に連続試料から産出した主要大型植物化石の変遷図を示す。なお、連続試料は機械的に試料採取されたため複数の層にまたがる試料であることを断っておく。
 縄文後期末・晩期初頭と推定されるSP130-135からは、生業に由来するとみられる種子はヒエ、アサぐらいで、他に湿性や中生の草本を産出するがその個数も少ない。堆積物は木材片の多い泥炭と植物片を含む砂層であるため堆積が速いこと、および沢が廃棄場所としては利用されていないため植物の果実種子が少ないと推測される。
 SP80からSP120では、湿性や中生の草本とともに人為により割られたとみられるオニグルミやトチノキを多く産出している。また、クリも破片であることから食用として加工後に低地に廃棄したとみられる。SP80からSP120において産出するオニグルミやトチノキは保存が良く表面の風化も殆どないことから、空気中に放置されることなく水中に廃棄されたと考えられる。オニグルミは炭化した内果皮も産出した。また、オニグルミでは食痕のあるものや、割跡のない半分の内果皮、トチノキは人が食用としては採取しないとみられる幼果や未熟種子、およびクリの幼果も産出した。アサは縄文時代において広く栽培されていた可能性が高く、縄文前期以降に産出例は多い。また、ゴボウは佐賀県菜畑遺跡(縄文晩期後半)、鳥浜貝塚(縄文前期)などで産出している。
 SP70〜SP10は湿性植物をはじめとする草本が激減し、ニワトコ、ヤマグワの風化種子が急激に増加する。この時期は周囲から供給されていたとみられる草本種子のほかは産出しないため、廃棄により急速に埋積された可能性がある。この層準では腐敗しかけて軟らかくなったヤマグワ種子が多産し、キイチゴ属、ヤマブドウ、サルナシ、ニワトコを伴うことから、食用として加工した残差を多量に廃棄したとみられる。ニワトコは炭化した内果皮もわずかに産出し、人が係っていることを物語っている。オニグルミ、トチノキは多くはないがSP60からSP30まで産出し、破片や腐敗しかけた破片が多い。SP10-30でトチノキやオニグルミが産出しないのは、多種の植物遺体が廃棄され遺体屑が不均一であるためとみられる。

木材化石(鈴木ほか、2003)の概要
 D区から出土した加工材(72点)、自然木(95点)、木製品(64点)の樹種の概要を示す。
 自然木では、クリが26点と多く、次いでトチノキ、ニレ属、ヤマグワ、カエデ属、イボタノキ属、コナラ節、オニグルミ、ケヤキが3-10点産出し、マタタビ属、イヌシデ節、クマシデ節、ニワトコ、ヤマギ属、ニシキギ属、ウルシ、トネリコ属、モクレン属が1-2点出土している。95点の試料から19樹種がみつかり多様であることが示されている。また、トチノキは10点中7点が根材、ニレ属も10点中2点が根材で、両種が遺跡周辺に生えていたことを強く示唆する。これらの組成から是川遺跡の縄文晩期の植生は、クリ、ニレ属、カエデ属、コナラ節、ケヤキが優先する冷温帯〜暖温帯性の落葉広葉樹林で、特に沢地や水辺周辺にはトチノキ、ヤマグワ、オニグルミ、クマシデ節、ヤナギ属が生えていたと推定されている。一方、加工材ではクリが半数を占め、オニグルミ、ニレ属、カエデ属、トチノキなどからなり、大部分は自然木と共通の樹種からなり、加工材が周辺の森林から材料を得たものであることを示している。
一方、木製品は他地域から持ち込まれたものを含むためか自然木や加工材と木材組成が異なる。

図1 是川中居遺跡D区捨て場1の南北セクション図
 □で示した分析用ブロック試料のうち、小四角は花粉・大型植物化石(0.25mm以上)、大四角は大型植物化石(1mm以上)の試料採取層準を示す。17-19層は縄文後期末〜晩期初頭、4-16層は縄文晩期前葉。

図3 D区捨て場1地点の主要大型植物化石変遷図
  (表示個数は12.5リットル中に含まれていた種子総数、黒丸は10個未満)

  図2 D区の主要花粉変遷図
  (出現率は、樹木は樹木花粉数、草本・胞子は花粉胞子数を基数として百分率で算出した。
  *は花粉塊が産出した試料を示す

捨て場2(北の沢)

捨て場2の大型植物化石の産状

(八戸教育委員会,2002)

樹 種 木製品 加工材 自然木
クリ 4 36 26
トチノキ 20 2 10
スギ 20 - -
ニレ属 - 5 10
カエデ属 - 5 7
ヤマグワ - 1 10
オニグルミ - 7 3
ニシキギ属 6 1 1
イボタノキ属 - 1 7
マタタビ属 4 - 2
コナラ節 - 1 4
アスナロ 3 - -
ノリウツギ 2 1 -
ハリギリ - 2 1
イヌシデ節 - 1 2
クマシデ節 - 1 2
ケヤキ - - 3
ムラサキシキブ属 1 1 -
ニガキ - 2 -
ウルシ - 1 1
トネリコ属 - 1 1
ニワトコ - - 2
ヤナギ属 - - 2
イヌガヤ 1 - -
カバノキ属 1 - -
キリ 1 - -
サクラ属 1 - -
クマノミズキ属 - 1 -
ツルウメモドキ - 1 -