新潟県青田遺跡の概要 (新潟県教育委員会・(財)新潟県埋蔵文化財調査事業団(2004)に基づく)

 低地の集落(青田ムラ)における生業と周辺の植生復元、及び縄文時代晩期以降の植生史を解明することを目的に花粉、大型植物化石、木材化石の植物化石群の調査が行われている。ここでは花粉化石群よりオニグルミの貯蔵穴と推定された川岸に分布する土坑の調査結果を示す。

花粉化石群からみた川岸に分布する土坑の用途について(吉川,2004

青田遺跡は、新潟県北蒲原郡加治川村大字金塚字青田に所在し、越後平野北部の沖積地に位置する。旧河川に沿って遺跡が検出され、標高−11.6m、旧河川の最深部は−4.1mを測る。本遺跡からは縄文時代晩期終末の大規模な集落跡と平安時代の遺構・遺物が検出された。縄文時代晩期終末の集落は、低湿地を流れる河川の両岸に沿って営まれ、南北210mにわたり検出された。遺構は、掘立柱建物58棟(ビット374基)・土坑79基・杭列2基・ビット257基・埋設土器11基・炭化物集中範囲269か所・堅果類廃棄範囲59か所などである。 

集落は、S4S3層期(鳥屋2a式)とS1層期(鳥屋2b式・大洞A一式)の大きく2時期に分かれる。集落はS2層期に地震により一時衰退し、S1層期は周辺の湿地化や地震による環境変化などにより廃絶したものと推測されている。掘立柱建物の桂根の年輪年代学的解析が行われ、集落は各期ともほぼ同じ時期に89棟の掘立柱建物が構築されていたことが明らかにされている。掘立柱建物は、桂根の配置や太さから、本遺跡を初現とする落棟付平屋建物と復原された。ただし、床面や炉跡が検出されず、高床の可能性がある。土坑の一部は花粉分析の結果や大形種実の観察からオニグルミの貯蔵穴と推定した。また、土坑底面にヤナギ属とマタタビ属の枝材を敷いて固定したものや、竹笹類が敷かれた草敷土坑が検出された。 

出土遺物は土器750箱、土製品21点、石器24426点、石製品54点、木製品1185点、編物類9点、漆製品68点などである。土器は鳥屋2a式〜2b式の変遷が認められ、鳥屋2b式(新段階)に大洞A’式が伴うことが明らかとなった。石器は、S4S3層期とS1層期の器種組成に大きな変化は認められない。器種組成を狩猟具、採取・加工具、調理具に分けた場合、狩猟臭が約4割、採取・加工具と調理臭がそれぞれ3割程度を占める。木製品は桂根458本があり、樹種や加工方法から当時の伐採方法・建築技術が推定された。他に丸木舟や擢・丸木弓などがある。編物類には籠類・笠状編物・簾状編物がある。漆製品には赤漆塗り糸玉・腕輪状漆製品・漆塗櫛のほか、漆容器・顔料粉砕具・赤色顔料塊が出土し、漆製品の製作が行われていたものと推定されている。

堅果類廃棄範囲には多量のクリ果皮が廃棄されており、鋭利な刃物で皮を剥いて果実を取り出す加工が集中的に行われた可能性が高い。さらに、クリ果皮は最大幅5.6cmのものを含む大粒のもので、花粉分析や年輪年代学的解析から、周辺にクリ林が形成され、人為的な管理・栽培が行われていた可能性がある。また、動物遺体の分析から、フナ・コイ・サケなどの淡水性漁拷が盛んに行われていたものと推測される。 

平安時代の遺構は足跡が多数検出されている。洪水により運ばれてきた多量の木製品が出土し、これら遺物から紫雲寺潟は9世紀末〜10世紀初頭に形成されたことが明らかにされている。 

SK1764土坑

SK1764土坑内堆積物

SK2372草敷土坑

 土坑は直径1m前後の楕円形を呈し、下部が袋状に膨らんでいる。土坑内堆積物はいずれも土坑底部がやや有機質な堆積物により埋積され、さらに上位層準に有機質層が複数狭在する。この様な類似した特徴がみられることから、何らかの共通した用途のための遺構と考えられた。そこで、土坑の用途を検討するために6基の土抗内堆積物の調査を行った。土抗内堆積物の地質柱状図と分析試料採取層準を図1に、各土抗の主要花粉の変遷を百分率(図2)と花粉含有量(図3)で示した。

土抗の時期は、SK1714,SK1764,SK1784,SK2015S1層期、SK2453K5層頃と推定されている。各土抗の堆積状況は大局的には類似し、相対的に有機質層(オリ−ブ黒色から暗オリ−ブ灰色シルト)の強熱減量は5.918.9%(平均10.9%)、無機質な間層(暗オリ−ブ灰色シルトないし砂質シルト)は4.19.8%(平均6.5%)である。 

百分率と花粉含有量の変化は概ね調和的であるが、他の分類群の消長の影響を受けない花粉含有量の変化がより明確である。土抗内堆積物から産出した花粉化石群はSK1714SK1764SK1784SK2015SK24532つのタイプに区分され、前者の土抗ではクルミ属、クワ科(花粉形態からはカラハナソウ属ないしアサ属とみられる)、ツリフネソウ属が一部層準で高率ないし比較的多く占めるが、後者では目立った変化がみられず自然堆積層と類似した組成を示す。すなわち、前者の土抗では有機質層におけるクルミ属の頻度ないし含有量は上・下位の無機質層に比べ相対的に高くなる傾向が認められる。また、SK1763では明瞭ではないが、他の土抗ではクワ科やツリフネソウ属も有機質層で頻度や花粉含有量が相対的に多くなる。さらにクルミ属とクワ科、あるいはツリフネソウ属間の花粉含有量の変化は0.711.00と高い相関を示し、青田川の両岸の土抗で認められる。一方、青田川の西側にある4基の土抗に隣接する自然堆積層(24B)では、クルミ属の頻度は低く、クワ科やツリフネソウ属も稀である。こうしたことから有機質層の形成にこれら3分類群が何らかの係りをもっていることは明らかで、その上これら分類群は自然に土抗内に堆積したわけではなさそうである。 

さて、花期の異なる3分類群が土抗内に同時期に堆積するには、人為的に花を入れない限り、土抗がクルミ内果皮の洗浄に利用された場合のみ説明がつく。すなわち、クルミ属は、一般に外・中果皮を腐らせた後に洗浄し、その後に内果皮を乾燥して保存する。外・内果皮を腐らせるためには、山積みにして土や草などとともに積み上げる(渡邊,1984)。つまり、クルミ属果実の外・中果皮を腐らせて除く処理を母樹の周辺で行った場合、土壌表層に多量に含まれるクルミ属花粉が内果皮に付着して土坑内に搬入される。また、クルミ属の結実期とクワ科やツリフネソウ属の花期は重なり、さらにツリフネソウは河川沿いの低地に分布しクルミ属と同じ所に分布していてもおかしくない。また、クワ科の花粉含有量はSK1764SK1784、ツリフネソウ属もSK1764の一部層準で多量に含まれ、花あるいは葯の状態で取り込まれたことを示唆させる。つまり、クルミを腐らせる過程においてクワ科やツリフネソウ属などの植物が利用され、これら植物の花粉がクルミ内果皮に附着して土抗内に持ち込まれたと推定される。各土抗や層準により花粉含有量が著しく変動するのは、処理の場所と時期、植物の利用の仕方により異なるためと推定され、SK1764におけるニワトコ属の多産も腐らせた場所の違いにより説明できる。さらに、SK1764土抗の有機質層からクルミ内果皮が出土していることは調和的である。

土坑内堆積物の地質柱状図
花粉化石群百分率分布図
花粉含有量と微粒炭量

青田遺跡の縄文晩期の川岸に分布する土坑の用途

 一方、SK2453は他の土抗と堆積状況及び花粉化石群の特徴が異なり、用途が異なっていたと推定される。つまり、他の土抗は底部が有機質シルトないし有機質砂質シルト層、あるいは砂の薄層を覆って有機質シルト層が堆積するのに対し、SK2453土抗は底部に草材が敷かれその上位をシルト質細粒砂が層厚約7cmと厚く堆積する。また、花粉化石群は自然堆積層と類似した組成を示し、特に何らかを入れた形跡は確認されない。この様な状況であることからSK2453が他の土抗と用途が異なることは明らかであるが、その用途は特定できない。

引用文献
新潟県教育委員会・(財)新潟県埋蔵文化財調査事業団.2004.日本海沿岸東北自動車道関係発掘調査 報告書X 青田遺跡 本文 ・観察表編.新潟県埋蔵文化財調査報告書 第133集,408p.
吉川昌伸.2004.青田遺跡における縄文時代晩期以降の花粉化石群.「日本海沿岸東北自動車道関係発掘調査 報告書X 
 青田遺跡 関連諸科学・写真図版編」(新潟県教育委員会・(財)新潟県埋蔵文化財調査事業団).35-42.